今号では、井土の魅力を地区内外の方に語っていただきました!

生まれも育ちも井土!

加藤新一さんが語る井土の思い出

貞山堀のそばに暮らしていた加藤さん。
子ども時代も、いろんなところで遊びながら井土の自然を楽しんできました。

昔の井土は半農半漁

井土浦川には、 ボラの子どもの 「すばしり」 っていう魚がよくいたよ。 井土浦橋の近くにあった馬捨て場 (※飼っていた馬を洗う場所) は、 満潮でも砂があったようなところで、 井土の子どもたちはそこで魚を取ったりして遊んでた。

昔の井土浜には、 魚取りする人もたくさんいたんだ。井土浜には4 ヶ統(※定置網一式を 1ヶ統とよぶ)あって、海に定置網を掛けてたんですよ。 でも、 終戦を迎えるころにはみんなやめてしまって。 だって、 井土浜から海に行くのが大変になったんだもの。 貞山堀が出来たから。 井土浜あたりの貞山堀は開通が明治のころだったから、 それ以来、 海が遠くなってしまったんだね。だから、井土の定置網は早い時期にやめてるの。

だから、昔の井土は半農半漁だったんだね。夏場だと、定置網にかかったザッコ (雑魚) をもらえたりして。

▲加藤さんは今も井土に通いながら野菜を育てています

砂浜が広がっていた頃

私が小さかった頃は、 貞山堀には橋も掛かっていなかったから、 海に行くには、 泳ぐか、 舟を出すかしかなかったね。

貞山堀を越えた先にある砂浜は、 子どものころは50mぐらいあったね。 今からは想像できないくらい、広かったんですよ。 昔は防波堤もなかったから、 私たちが小さい頃は、 泳いでいると深沼 (荒浜地区)あたりまで流されたの。

1960 年代から仙台新港の工事が始まったことと、閖上の防波堤が今のようにずっと東に延びたことが影響して、 砂浜がどんどん削られていったんですよね。 それが、 深沼にも閖上にも潮の流れができて、砂がどんどん持っていかれるようになってしまって。今では、 井土の砂浜で遊ぶイメージはないでしょ。

▲現在の井土地区の海岸にはテトラポットが並んでいます

井土地区を訪れたことのある方々に、井土の魅力を語っていただくコーナーです

北の里浜花のかけはしネットワーク 代表
鈴木 玲さんに聞きました

【鈴木玲さんプロフィール】

北海道札幌市に拠点を置く環境団体「北の里浜花のかけはしネットワーク」代表。また、親子の自然体験や湿地の利活用の活動もしている。東日本大震災で東北地方の砂浜海
岸が大きく被災したことを受けて、良好な海辺の自然再生に向けて、現地の住民とともに海浜植生観察や育苗から植栽、そして防潮堤の砂丘化に取り組んでいる。

井土浦川の河口に生い茂るヨシ

井土地区にある谷地は、 とても立派で驚きました。 群生するヨシは茅葺屋根の材料でもありますが、 かつては住民の方々が手入れをして、 収穫したヨシは業者に売っていたという話を聞いて、 豊かな自然資源を無駄にせずに活用しようとする姿勢もすごいと思いました。

このような井土ならではの自然資源の姿を、 もっと多くの人に知ってもらいたい気持ちです。 生き物がとってもいっぱいいて、水鳥はもとより、カニがウヨウヨいて感激しました!もしかすると、井土に暮らしていた方々も、 この素晴らしい自然環境が当たり前すぎて、 その魅力に気づいていないかもしれません。 井土の自然環境を学ぶ講座や体験型イベントを開催して、 多くの方と井土の自然環境を共有できるようになると、 暮らしていた方々も固有の価値に気づくきっかけになるかもしれませんね。

茅葺屋根の家屋はほとんど見かけなくなったので、 ヨシをどのように活用していくかも気になります。 多分野の人を巻き込んでこれからの使い方を考えていくことも、 自然資源を大事にしていく大きな一歩になると思います。

ヨシの良好な育成環境を維持管理していくことは大変ですが、たとえば、蕪栗沼(大崎市)や北上川(石巻市)では、 ヨシの生育環境整備の一環で野焼きを実施しています。 井土地区でもそういったことができると、 「季節の風物詩」 として関心を持ってくれる人もいる気がします。 大事な、 大震災を乗り越えてもなお残った自然資源なので、 ぜひ活用しながら守っていっていただきたいと期待しています。

ヨシは刈った後に一定期間乾燥させるんです。 大きな束にまとめられたヨシが家々の玄関先に立てかけられてる光景は、 冬の始めになると懐かしさとともに思い出しますね。

井土町内会長 三浦紘一さん
ReRoots の皆さんとヨシ舟をつくったこともありました!